ヨガ

自己をゼロにする 本「人間ガンディー」を読んで

本「人間ガンディー 世界を変えた自己改革」を読みました。

いつも参加してるヨガレッスンで生徒さんがこちらの本を先生におすすめし、先生も感銘を受けて読書会が開かれたのがきっかけ。
印象に残ったところありブログに感想など残しておこうかと。

非暴力と不服従で大英帝国に抵抗しインドを独立に導いたガンディー。自ら深めつづけた内的世界の軌跡と、その情熱を支えた源を探る。
(本の内容・解説文より)

ガンディー=ガンジーと言うと、歴史の時間に「非暴力・不服従」を唱えてインド独立運動の象徴的存在と学んだくらいのうろ覚えの存在で、それ以上の事はよく分かりませんでした。

この本を読んではじめてガンディーがヨガ哲学「バガヴァッド・ギーター」の教えに則した生き方、人生観ということを知り、なるほどそれはヨガを深く学ぶ方々とは相性がどうりで良いはずだと思いました。

ガンディーの歩みや軌跡、インドの歴史の部分にも触れていますが、それよりも内面や思想、それに伴う行いの方に重きが置かれていて、ガンディーの死後70年以上経った今でも錆びれず心に響くものがありました。

青年期はイギリスに渡り留学、その後南アフリカで弁護士に就業。そこだけ聞くとエリートのように聞こえますが、本では決してエリートとしては描かれておらず、むしろ弱さゆえにそのように流れていったといった風に書かれています。

そんな気弱な青年がどうしてインドの指導者的な存在にまでなったか?というのが読書会でも取り上げられてました。
(確か本の中では一文だけ「クンダリーニヨガ」に出会ったことが発端だというようなことが書かれていたという話だったような・・・ネットで調べてもうまくヒットしないので、確かな情報じゃないかも。)

とにかく、元々は普通の気弱な青年が、偉業を成し遂げたのですから本当すごいです。
話はそれますが、この本を読んでるとイギリスはかなり酷いことをインドに強いており、イギリスって・・・と複雑な気持ちになりました。
最近NHKドキュメント番組「バタフライエフェクト」の「砂漠の英雄と百年の悲劇」を見まして、その中でもイギリスは国益のために2つの民族を裏切る行為をしていて「イギリスってなんなの!?」と思ったのです。(この番組は大変興味深い内容でした)

今のご時世、日々ニュースでいろいろな理不尽な行いや弱い立場の人がさらに苦しむ矛盾を目の当たりにしていますが、そういった意味では今も昔も変わっていないのかもしれません。

ガンディーが偉大すぎてあまりに遠い存在に。
大きく考えてしまうと、頭がいっぱいいっぱいになって何もできなくなるので、自分個人の世界に戻します。

特に私の中で響いたのはガンディーの演説で記者が側近に尋ねたこの部分です。

「ガンディー氏は、何の準備もなく、手助けも必要とせず、メモすらも見ないで、どうしてあれほど見事な演説を、 長時間にわたっておこなうことができるのでしょうか?」
「ガンディーが考えていること、感じていること、言っていること、おこなっていること、それらはすべて一致しています。ですからかれにはメモはいらないのです」
そう答えた後、デサイはにっこり笑ってつけ加えた。 「わたしやあなた方は、あることを考え、 それとは別のことを感じ、違うことを言い、 さらに別のことをおこなっています。ですから、それらを記録しておくメモやファイルが必要なのです」
(p.134より)

ここの文を読んだ時にわ〜、自分まさにそれだ〜!と思いました。
仮に自分の思考や興味、行動を円グラフにしてみたと想像してみた時に、私の成分はかなり細分化されることは想像に足るし、さらにsnsなど自分にはない情報も「何か新しい刺激はないかな〜」と特に意味もなく見てしまって、全然自分に関係のないことにも気を取られ、時間を費やしている事に気づきました。

この本に掲載されてる写真を見ますとまた凄くて、炎天下であろう道を帽子も被らず一枚の布と薄っぺらい草履のようなものだけを身に付け歩いてる様や、執筆も床の上に座り、小さなボードのようなものを膝にのせて書いてる様を見て、いや本当に自分だったらありえないという感じなのです。

人は、何をすべきか、ということを考える時間を減らし、どうあるべきか、ということをもっと考えるべきです。 いい生き方をしていれば、 仕事はおのずと輝いてくるからです」 これは中世ドイツの神秘家マイスター・エックハルトの言葉であるが、 まさにこの言葉の通り、ガンディーは「自分がどうあるべきか」 ということだけを考えて生きた。 そしてそれゆえに、かれの行為はすべてにおいて美しく輝いていた。(p.149)

こちらの言葉も親愛なるヨガの先生が話していたことに通じる思考でとても響きました。
難易度の高いヨガのポーズが自分や周りができるできないを見るのではなく、ただ今どうあるかをただ観察しなさいといったことだったと記憶してます。

今の自分の在る様がそのまま自分の生き様だ、執着せず手放しなさいということなんでしょうか。あまり考えると出口見つからず帰って来れなさそうなのでやめときますが、心に残る一節です。

ギーターは言っています。 「自分に割り当てられた仕事をしなさい。 しかしその結果を放棄しなさい。 執着せずに働きなさい。報いを求めずに働きなさい」と。
このギーターの教えには疑問の余地がありません。 行為を諦める者は失敗しますが、報いだけを諦める者は栄えます。 『結果を放棄する』ということは、結果に無関心でいることでは決してありません。
(p.133)

現在無職の私には大変刺さる一文。
今後、今までと全然違うことをやってみようと妄想した時に、うまくいかなかったらどうしよう、もう若くないから、親の介護が始まったら、自分もいつまでも健康じゃないかもしれない、などなど言い訳しか浮かばず、しかしそれって裏を返せば結果が成功することを望んでいるからなんですよね。
結果を放棄すれば、何の問題もないわけで、なるほどこれが執着かと気づきました。
(かと言って独りよがりの自己満足でも困るんですけれども)

等々、響く部分多々あり、たくさんメモしました。折を見て読み返そうと思います。

本としては文章量が多いわけでもなく数時間で読めますが、万人受けする本ではないです。
序盤がやや退屈で、時系列が少し複雑で分かりにくいですし、ヨガ哲学に興味がない人には琴線に触れる部分が少ないかもしれません。

個人的にはこんな良い本が埋もれているなんて!ベストセラーだけが本じゃない。もっといろんな人に読まれてほしいと思いました。

最後にタイトルにつけた「自己をゼロにする」の項目が書かれた文章を引用して終わりにしますね。

人生をありのままに見ることができる人は、きわめてまれである。おおかたの人は、ものごとを自分の尺度でとらえ、好き嫌いや偏見、先入観、欲望、興味、恐れなどの色眼鏡を通して、他者を見ている。世界をバラバラにさせているのは、この個人対個人、地域対地域、 国家対国家といった分離主義的なものの見方である。
世界をありのままに、「ひとつのもの」として認識するためには、私的な利益、権力、快楽、名声などへの執着をすべて手放さなければならない。そうしないかぎり、ものごとを自分の思い込みだけでとらえ、世の中をありのままではなく、自分の欲得のものさしで計ってしまわざるを得ないからである。
わたしたちは、長年にわたって身につけた癖によって、利己的な欲望を満足させることに汲々とし、それが自分の性格だと思いこんでいる。しかし、それは仮面でしかなく、わたしたちはそのはずし方を忘れてしまっているのである。その仮面の下には、まったく恐れのない、無条件の愛と歓びに満ちた真我(本当の自分)が輝いている。

長年にわたり、自分よりも人を優先させることによって、ガンディーは仮面をはずして、「自己をゼロ」にすることができた。 そのときガンディーは、自分のなかから取り除かれたのは、自他を区別する心と、 自己中心的な心、そして恐れだけだったことを理解した。 そして後に残ったのは、心のなかにずっと潜んでいた愛と、何ものも恐れない心だった。
古代インドの瞑想の師パタンジャリは言う。「敵意が全く消滅してしまった人はだれに対しても挑むことがないので、その人の前ではだれも敵意をもたない。 恐れがすべて消滅してしまった人はだれに対しても威嚇しないので、その人の前ではだれも怖がらない」 これこそがまさに、真のアヒンサーによって解き放たれたネルギーの、正確かつ科学的な定義である。
(p.135)

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