ヨガ

サントーシャについて考える、心のダイエット

あじさい

ヨガスタジオLAVAの時々受けるレッスンのひとつに、ヨガ哲学を教えてくれる先生がいます。

その先生がヨガレッスン終了時にコラムのプリントを欲しい人に配布してくれるのですが、その教えが結構自分の心に残り、そのひとつを深く考えてみようと思います。

今回は「サントーシャ(知足)」。

サントーシャとはヨガの根本経典である「ヨガスートラ」にあるヨガの教えです。

sam・・・完全に、永遠に、平等な
tosha・・・輝き、喜び、満ち足りた心、与える、乗り越える

簡単にいうと「足るを知る」、今あるものに満足してそれ以上を求めないように努めようということです。

先生はそれだと裏を返せば「(本当は欲しいけど)満足するよう努力する」と我慢やあきらめの感覚も含まれるけど、そうではなく、サントーシャは「エゴから自由になった境地」と説くのです。

現代社会は「発展・獲得・達成」することを良しとされ、小さい頃からそういう価値観、思想が自然に身に付く環境にありました。
そして今もそういう世界の中にどっぷり生きています。

それを「必要以上を求めずに、心を静かにさせよ」と。

心を静かにする、ココロをしずかにする、ココロヲシズカニスル・・・
よし、わかった!と頭で理解していても、これがなかなか・・・手放せない。

ハイオッケーと思っても一歩出ればソレはソレ、コレはコレとバーゲンセールを目にすれば何かお得なものはないかしら?と貪欲に走ったり。

もっと便利に、無駄なく効率的に、自分だけ見逃して損したくない!。
平常時は平気でも、他人が何か魅力的なものを持っていたり、目に入ると衝動的に「私も欲しい!!」と心が暴走し、満たされるまで諦めずに執着する。

例えば飲み物ひとつ取っても「お茶やコーヒーじゃなくてもお湯のままでも十分」とわかっていても、ついお茶もコーヒーもいれてしまう、とか。小さなものでも手放せない自分。

誰かに自慢したい、小さな自尊心を満たしたいが動機となって行動を起こしたり。
その奥底にあるものは「自分の存在を認められたい、自分の居場所を確率したい」ことなのかも。

でも今回こうやって書いてみることで小さな一歩を踏み出せたんじゃないかと。まずはこういう気持ちを持ちたいことをオープンにする。

このブログはいろんなものを紹介してきて成り立ってきました。
「サントーシャ」はそういうものとは相反する思考です。

そういう時期にやってきたのかもしれません。
まだあるのに必要以上に買わない。むやみやたらに欲しがらない。
心のダイエットとでも称しましょうか。
自分の本当に求めてる心に耳を傾け、徐々に手放していけたら。

半年後にはすっかり忘れてるかも?笑
忘れないよう手帳の目立つところにでも「サントーシャ」と記しておきます。

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